マレーシアから海外永住 花びら餅とエロスと編集 Written by Miho Kanai

鏡に映った顔を磨いても汚れは落ちない【コールセンター談】

Essays

まえがき

コールセンターを舞台に巻き起こる事件のあれこれをネタにエッセイを書きはじめた。

内情をあんまり知らずに入ったほうが、エイヤッと飛びこめるかなと思ったけれど、闇の部分だけでなく深い学びもあることを伝えたくて書いている。

マレーシア移住の足掛かりとして、コールセンターの求人応募を検討している人の参考になれば恐悦至極だ。

目次

  • 悪意のトラップ
  • 被害者意識が不幸のはじまり
  • 世界は自分の映し鏡

悪意のトラップ

私たちが日々、カスタマーサポートとして接するお客様は千差万別。やさしい人や、せっかちな人、礼儀正しい人、横柄な人、怒っている人、泣き叫んでいる人、なにを言っているのか分からない人。すべてのタイプのお客様に適切に対応することが求められる。

(冷静に考えてみると、相当ハードルの高いことをやってのけていると思う。)

終始穏やかなお客様は神のような有り難い存在だけど、「物分かりの良い人で助かったわ」なんて思っていると、「不満足」のアンケート結果があとから届いてひっくり返ったりする。

本心を見せない良識あるお客様は、心の内で不満をこじらせていたりするから気が抜けない。

そうした心の機微にも気を配りながら、適切な声のトーンで、言葉を選びながら、ひとつも漏らすことなく必要事項を説明し、時には説得を試みる。

自画自賛するけれど、カスタマーサポートのお仕事って、実は高度なコミュニケーション能力が身につく、すばらしい職業なのだ。

(内実はほぼ「修行」だけれど。)

提携先パートナーや社内の人と連絡を取り、協働することもある。

お客様対応は緊張の連続だけど、仲間たちと連絡を取る時は少しほっとする。酸いも甘いも共有し、仕事の大変さを分かり合える者同士、労いや感謝の気持ちを贈り合い、親しみをもって接する。

お客様からは手厳しいお叱りの言葉やヒステリックな非難を甘んじて受けているのだから、せめて仲間たちとは仲良く働きたいよね。

しかし仲間とは言え、彼らも人間だ。機嫌の良い時もあれば悪い時もある。電話に出た声のトーンで相手の気分はだいたい分かる。

機嫌が悪いのか、もともとの性格なのか、暗く沈んだ小さな声で応対されると、こちらの気が滅入ってくることもある。元気出してこ!

今回は上席の承認が必要で電話をかけたのだが、嫌味な応対をされて驚いてしまった。言葉の端々に不機嫌がこびりつき、まるで無遠慮にナタを振り回しているかのようだった。

身内とは言え、あまりにも配慮に欠けた物言いにしばし絶句。こちらが努めて明るく振る舞おうとしても、空を切る鋭利な刃先でこちらがケガをしてしまいそうだった。

人がせっかく心を整え、「明るく、仲良く、喜んで働く」を実践しているというのに、なんというトラップ!

なんとか呼吸を整え、平静を保ち、最後まで礼儀正しさを見失うことはなかった。

内心ムッとはしたけれど、相手に釣られて嫌味の応酬合戦に参加してしまっていたら、自分自身をおとしめる結果になっていた。

よく耐えた、自分! えらい!

被害者意識が不幸のはじまり

毎日のお客様対応で心を砕き、神経をすり減らして奮闘しているんだから、せめて社内の人にはやさしくされたい。

そんなことを思い、モヤモヤしたままの胸の内を吐露したくなって、仕事おわりにツイッターでぽつりとつぶやいた。

つぶやいてからしばらくの間は、小骨が喉に刺さったような、小さな違和感を感じていた。

しばらくすると、ふと「人は鏡、万象はわが師」という言葉が降ってきてハッとした。

あの出来事は、ほんとうに相手が一方的に悪かったのかしら?

あらためて状況を振り返ってみた。

社内の人、しかも目上の人に意地悪なことを言われた私はショックを受けた。なんならちょっと悲しかったし、怒りの感情も湧いてきた。

そうした不快な感情はどこから来たのか?

思ってもみなかった出来事が起こり、望みもしない不運・不幸が自分の身に降りかかって、私は嫌悪感を抱いた。根底にあるのは「ひどい目に遭わされた」という被害者意識にほかならない。

ここでちょっと自分の問題として考えてみた。

もし過去に、私自身も彼にやさしくない態度を取っていたとしたら、どうだろう。私の態度に傷ついた彼がいまでもそのことを覚えていたとしたら、どうだろう。

私は被害者などではなく、むしろ過去においては加害者であったかもしれない。

私の記憶のなかにはカケラすら残っていないけれど、こういうことはやったほうは覚えていなくても、やられたほうはいつまでも忘れないという。いまの私自身がそうであるように。

ほんとうのことは闇に葬られて表面化することはないだろうけれど、小石が落ちて水面の小さな波紋が次第に大きく広がっていくように、行く先々で自分の身に起こることは、小さな石から波及した波紋なのかもしれないと思った。

そう考えると、「ひどい目に遭わされた」ことはすべて自らが招いたことであり、被害者意識が入りこむ隙間は1ミリもないことになる。

被害者意識が首をもたげなければ、嫌悪感も湧かないはずだ。

ただ目の前の出来事をありのまま認識し、対応すればよい。ただそれだけだ。

悲しみや怒りなど、わざわざ自分の感情を動かすまでもない。

世界は自分の映し鏡

「人は人、自分は自分」という言葉がある。そのとおりだと思う。

自分がやりたいことをするのに他人の許可はいらないし、他人の評価も関係ない。

自分がこうだと思えばそうなのであり、自分のやりたいようにやればいい。

他人のやることもこちらがやいのやいの口を差し挟むことでもなく、他人の人生は他人のものだ。

ところが、この世の出来事、日常のあれこれについて考える時、人は人、自分は自分と切り離して考えるところに、世のなかのいろいろな不幸が萌え立つ。

なぜなら、世界は自分の心の映し鏡であり、人はわが鏡であることを置き去りにしているからだ。

人にニコニコと笑いかければ、相手もニコニコと笑い返す。こちらが大きな声で怒鳴り散らせば、あちらはムッとしてにらみ返す。

親子も、夫婦も、友人も、隣人も、お客様も、ビジネスパートナーもすべて、わが鏡であり、わが心のあり様によって変わりゆく。

起きた出来事や人の態度に怒りを露わにしたり、文句を言ったりする行為は、鏡に映った自分の顔の汚れをぬぐおうと、鏡を一生懸命ゴシゴシと拭くようなものだ。それでは汚れが落ちるわけがない。

世のなかの出来事はすべて自分の心の表れであり、自分の心の投影である。だから相手を変えたり改めたりしようとするのはお門違いだ。

顔の汚れをぬぐうには、鏡ではなく自分の顔を拭くべきなのだ。

被害者意識をもつ前に、まず自らを改めよう。

自分の心やふるまいを振り返り、心のゆがみや生活の乱れを正せば、世界の見え方はおのずと変わる。

もし望まぬ不運や不幸が舞いこんだなら、自分を改め、自分が変わる絶好のチャンスがやって来たと喜ぼう。

少し前まで「ひどい目に遭わされた!」と、わざわざ自分から不幸をしょいこんでいたけれど、裏を返せば喜びになるなんて。

なんだ、幸せになるって、思ったよりも簡単なのね。

被害者意識が不幸のはじまり。

不運や不幸に見舞われた時は、相手に向けたその指を、クルッとひっくり返して自分に向けよう。

改められるのは自分だけ。

そしてラッキーなことに、自分はいくらでも変わっていける。

あとがき

カスタマーサポート歴はもうすぐ4年目になる。ここまで苦労はしたけれど、ずいぶん心の整え方はうまくなったんじゃないかなと思う。

けっして楽な仕事とは言えないけれど、ひとつ確実に言えることは、自分の向き合い方次第で、苦しくもなれば喜びにもなるということ。

鏡のなかに見える自分の顔は、いまどんな顔をしているだろうか。

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