マレーシアから海外永住 花びら餅とエロスと編集 Written by Miho Kanai

【体験談】うまくいかない原因はいつも「偽りの自分」

Life Thought

まえがき

「自分の人生はこれでいいんだろうか」

こんな漠然とした不安が胸をよぎることはないだろうか。

私の場合、20代と30代はとにかくスキルアップとキャリアアップのためにがむしゃらに働いた。「社畜」と言われてもしかたないくらいの見事な働きっぷりであったと思う。いつも意識の大半を占めていたのは目の前の仕事やキャリアであり、自分の人生がどこに向かっているかなんて考えたこともなかった。

40代になると、命の残り時間を意識するようになった。人生100年時代のいま、40代なんてまだ若いかもしれないが、ほぼ折り返し地点に立ったと考えると、どうしても冒頭の不安がよぎってしまう。もし自分が本当にやりたいことをやっていないなら、それは自分の人生を生きたことになるだろうか。

こんな不安を抱くことこそが「違うでしょ!」という無意識からの警告なのかもしれない。命の灯が消えかかった今際の際に「本当の自分はこうじゃなかった!」と気づいても後の祭りである。それこそ死ぬに死ねない。未来に不安を抱くのも、望まない道へ進んでしまうのも、本当の自分をわかっていないからだ。私はまだスタート地点に立っていない。

本記事は、私が過去の行動や感情に「本当の自分」を見つけた記録である。わかってなかったなと思うこともあれば、無意識のうちにちゃんと自分が望む方向へ進んでいたんだなということもある。「本当の自分」を知るうえでの参考になれば幸いだ。

本記事の内容

  • 舞台はすでに用意されていた
  • 「自分には無理」という看板
  • うまくいかない原因はいつも「偽りの自分」

舞台はすでに用意されていた

英語とのふれあいで外の世界を知る

私は行動力のある子どもだったと思う。冒険心旺盛で、探検と称して一人でどこにでも出かけていった。子どもの行動範囲などたかが知れていたが、路地裏や通ったことのない道を発見しては迷わずズンズン進んでいった。迷子になるかもしれない不安より、この道がどこに通じているのかを知りたい欲求のほうが大きかった。

幼稚園生の頃、近所の公園のはずれにある小さな集会所で、英語体験教室が開かれたことがあった。昭和の時代にしてはめずらしかったと思う。集会所にたくさんの親子連れが集まっているのを見つけて居ても立っても居られなくなった。保護者同伴が参加条件だったが、好奇心を抑えきれずによその親子にまぎれてこっそりと一人でもぐり込んだ。

こうと思ったら後先を考えずに行動してしまう子どもが、自分の感情をそっと胸の内に秘めておくことなどできるはずもない。家に帰るやいなや、英語体験教室のおみやげにもらった外国の切手風シールを母親に自慢してしまった。すぐに「しまった」と思ったが、後悔は先に立たない。母親の説教魂に火がついたのは言うまでもない。

怒られはしたものの、生まれてはじめて「英語」というものに出会い、自分の知らない世界にふれたようでドキドキしたのを覚えている。それからしばらくはおえかき帳にミミズがのたくったようなヒョロヒョロ文字を書いては、いっぱしの英語を書いている気になって得意げになっていた。

小学生のときには、担任の先生がクラスのみんなでサンタクロースに手紙を出そうと提案してくれたことがあった。先生の旦那さんが英語が話せるということで、子どもたちが書いた手紙を英訳してグリーンランドのサンタクロース宛てに送ってくれた。

サンタクロースからの手紙

その後しばらくしてサンタクロースから返信の手紙が自宅に届いた。生まれてはじめて受け取った異国から手紙である。英語で書かれた内容はチンプンカンプンだったが、海を越えてはるばる自分の手元に届いたかと思うと電撃が走ったように手紙を持つ手が震えた。

戦争映画で人が爆死する世界を知る

私が通っていた小学校では、映画の上映会を定期的に行っていた。ある年の夏、私たちは「むっちゃんの詩(うた)」という映画を観た。いわゆる戦争映画である。アニメではない。

主人公はむっちゃんというおさげの可愛らしい少女だった。あるとき、むっちゃんが吐血して病にかかっていることが周囲にバレてしまう。親のいないむっちゃんは親類の家を追い出され、防空壕の隅で薄い布団にくるまって寝たきりの生活をするようになる。そんなむっちゃんをかわいそうに思った近所の親切なお姉さんがむっちゃんの世話を焼いていた。

爆撃機や逃げまどう人々の映像、空襲警報のサイレン音などで重苦しい空気が漂ういやな映画だったと思う。いま振り返ると、小学校低学年の子どもに見せるにはちょっと酷な内容ではないかと思うのだが、当時はおとなしく観るしかなかった。

映画のシーンが切り替わり、むっちゃんの世話を終えたお姉さんが防空壕から走り出てきた。昼間に外をウロチョロしていては敵の爆撃機に見つかってしまう。その緊張感は子どもにも伝わってきた。

その瞬間である。お姉さんが突然爆発したのだ。いや、実際にはお姉さんの頭上にミサイルが落ちてきたのだが、突然爆発したように見えた。爆死──。

子どもの私は体を震わせ、心のなかで声にならない悲鳴をあげた。戦争に対する強烈な嫌悪感が芽生えたのはこの瞬間だった。映像のなかの爆死したお姉さんの姿が脳裏に焼きつき、自分の家族と重なって、そんな世界は絶対にダメだと思った。

無意識に選んだ進学先は大正解

幼少期の体験から、将来は国連や国際協力の現場で働きたいなとぼんやり考えていた。それなら国際関係学部などに進学することを考えてもよさそうなものだが、大学選びの選択肢は私のなかでは最初から外大一択だった。

一応すべり止めとして1校受験はしたが、ギリギリ落ちた。合格していれば入学するかどうかにかかわらず入学金だけ先に納めなければならなかったため、無駄金を使わずに済んだ。というのは強がりで、内心かなり悔しかった私は執念で第一志望の外大に合格した。

外大を志望したのも「英語が好きで海外に興味があったら外大でしょ。国立で学費も安くて一石二鳥!」くらいにしか考えていなかった。しかし、【体験談】友だちにも先生にもいじめられた私が苦手な人付き合いを克服した方法で書いたとおり、異なる言語や文化を持つ人たちとのつながりが私にとって大切な価値観だとわかったいま、外大への進学は大正解だったとわかる。

ところが、当時の私は自分の価値観に無自覚だった。そのため、せっかく舞台が用意されていたのにそのチャンスを活かすことができなかった。それどころか、大学を卒業する頃にはすっかり海外への夢をあきらめてしまっていた。

「自分には無理」という看板

【体験談】友だちにも先生にもいじめられた私が苦手な人付き合いを克服した方法で書いたとおり、私にとって大切な価値は「人とのつながり」であり、特に異なる言語や文化を持つ人たちとのつながりが大切だ。大学進学までは何かと「海外」と接点があり舞台が用意されていたにもかかわらず、なぜ「海外」とは無縁の企業へ就職してしまったのだろうか。

人は毎日心のなかで無意識に言葉をつぶやいているそうだ。「今月も売上目標達成はむずかしそうだな」「お給料は上がらないし、仕事はおもしろくないし、人生はうまくいかない」などだ。

その背景には「自分には無理」という自分像がある。夢は叶わない。目標は達成できない。生きたいようには生きられない。自分はあの人より劣っている。うまくできない。価値がない。そうした言葉を毎日自分に言い聞かせて自分で自分に見切りをつけてしまうのだろう。

外大には海外留学生や帰国子女たちがたくさんいた。彼らはとても優秀だった。「それがどうした。優秀な人間と一緒にいたほうが学びは大きいじゃないか」と思うかもしれない。しかし私は自分と彼らを比べて自分が劣っていると思ってしまった。自分に限界を設定し、「自分には無理」「彼らにはかなわない」とあきらめてしまったのだ。

うまくいかない原因はいつも「偽りの自分」

「自分には無理」という看板を背負っているかぎり、もう何をどうしたって無駄である。絶対にうまくいきっこない。脳には前提を実現させようという性質があるそうだ。「自分には無理」と信じていると、「できない自分を実現させないといけませんね」と思考も行動もそうなるように仕向けてしまう。

うまくいかないのは、自分より優秀な人間が周りにいるからじゃない。自分の頭がよくないからでもないし、親も先生も関係ない。うまくいかない原因はいつだって自分にあるのだ。自己否定の背景に着目しなければ、何も解決しない。

【体験談】友だちにも先生にもいじめられた私が苦手な人付き合いを克服した方法で暴露したように、私にはちょっと壊れていた時期があった。「偽りの自分」に気づいたことで完全に壊れる前に正気に戻ることができたのだが、同時にあきらめてしまった「海外」へのあこがれもよみがえってきた。

そこから「よし、海外へ行こう」と決断するも、私の脳内は肯定派と否定派がせめぎ合い、大バトルが繰り広げられて大変だった。「40歳を過ぎても海外就職のチャンスはある!」とやる気になっては、「英語もろくに話せないくせにいまさら海外へ行ってどうなるんだ」と不安がおそってくる。まるで二人の人間が脳内に住みついたようで、疲れて体調を崩し、寝込むことも多かった。

それでも私は否定派に屈しなかった。ここであきらめたらもう二度と海外生活は実現しないと自分に危機感を持たせた。まだやってもいないことに恐怖を感じるなんてナンセンスだと何度も自分に言い聞かせもした。そのかいあって、マレーシアの現地企業で働く機会を手に入れることができた。

マレーシア渡航が決まり、身の回りの整理を始めたところで落ち着きを取り戻した。「本当に海外に行くんですね」と脳が納得し、「自分には無理」という看板をようやくおろしたのだと思う。知らず知らずのうちに背負ってしまっている看板の威力の凄さが身にしみた経験だった。

あとがき

「自分には無理」という看板をようやくおろすことができた私はマレーシアへやってきた。子どもの頃に夢見た海外生活がスタートしたのだ。ここにいたるまでに30年もかかった。だが、やってみれば何とかなるものだ。最初はとまどうことも多かったが、すでに異国の地で3年目を迎えている。

たとえトラブルに巻き込まれたとしても、命を取られることなどそう滅多にあるものではない。まだ起こってもいない未来に不安を感じて立ち止まっていては命の無駄遣いである。舞台が用意されているならとにかく舞台に上がるべきだ。あとのことは舞台に上がってから考えても遅くはない。

脳は前提を実現させようとする。それが自分を肯定するものであろうと、否定するものであろうと関係ない。「自分には無理」という看板をおろして「自分にはできる」という看板を掲げ直したなら、脳は勝手にそれを実現しようとする。この性質をうまく使わない手はない。脳をひとたび味方につけたなら、人生は自分の思いどおりにしか進まない。