マレーシアから海外永住 花びら餅とエロスと編集 Written by Miho Kanai

【逃亡のすゝめ】生きるための逃げはアリ!逃げた甲斐があればいい

Essays Life Malaysia Thought

まえがき

日本にいると、日常生活があまりにも安全すぎて、「逃げる」機会がほとんどなかった。学校で消防訓練はたまにあったが、先生が事前にネタばらしをしちゃうもんだから、危機感ゼロ。もたもたとめんどうくさそうに移動するから、ついでに消費カロリーもゼロ。

阪神淡路大震災は真の恐怖をもたらしたが、あんなに上下左右に地面ごと家ごと突き動かされたら逃げるどころではない。ふとんのなかで目をギョロっと大きく見開き、体を固くしているよりほかなかった。地震のときは「逃げる」より下手に動かず身の安全を確保することのほうが大事だ。

日本ではまったく「逃げる」機会に恵まれなかった。だからなのか、物理的な身の危険がない状況下でなにかから「逃げる」ことに、一種の背徳感を感じていた。「危険もないのに逃げること」がなにか悪いことのような気がして、ツラい現状を我慢してしまっていたのだ。

はたして、ツラい現状から「逃げる」のは良いのか悪いのか。逃げたあとだから断言できるが、「生きるための逃げはアリ」だ。

目次

  • 鬱というレッテル
  • 過去の人生を捨ててみた
  • 逃げた甲斐があればいい

鬱というレッテル

白状すると、わたしは日本でのツラい現状から逃げて、マレーシアにやって来た。なんかもう、いろいろと限界だった。仕事のこと。人間関係のこと。将来のこと。自分自身のこと。言葉にしてしまえば愚痴や妄想に分類されるような内容だったが、あのときの自分にとっては手のつけられない嵐が心のなかで吹き荒れているようで、どうしようもなかった。

わけのわからない自分の状態に「鬱」という名前をつけて自分を納得させようと心療内科を訪れたこともあった。ドキドキしながら入口の自動扉を入ると、ゆったりとした音楽が流れる、少々薄暗い感じの、それでいて暗くはないこじんまりとした空間が広がった。植物が各所に配置されて、まるで森のなかに足を踏み入れたような感覚だった。

わたし:「先生、わたし、鬱だと思うんです」

自分のほかに患者さんがいるように見えないのに、ずいぶんと長い間待たされていい加減しびれを切らした頃、自分の順番がやって来て、開口いちばんに先生より早く自分で診断を下してしまった。

担当医:「どんな状態か教えてもらえますか?」

先生の目が一瞬するどく光った。なにかを見透かされてしまったような気がして、焦りながらとにかく自分の胸の内を必死に訴えかけた。

わたし:「最近ほんとうにツラくて、とにかくツラくて、よくわからないんですけど、会社では部下に当たり散らしてしまうし、上司には嫌われているのか、イジメのような処遇をされるし…(ウンタラカンタラ)」

ひととおり内に秘めていた愚痴とも言い訳ともつかないような複雑な思いを吐露するのを、先生はただ黙って聞いてくれた。一言、二言、先生と言葉を交わして、先生は最後にこう言ってくれた。

担当医:「大変でしたねぇ。でも症状は軽いと思うので、もうここには通わなくていいですよ」

このときのわたしの心情が想像できるだろうか。普通は病気だ、重症だと診断されてうれしいはずがない。通院する必要のないほど軽症だと言われたら喜びそうなものなのに、あろうことか、わたしは先生の言葉にガッカリしたのだ。ガッカリって、なんだ。

だれかに苦しい胸の内を聞いてもらい、自分に「鬱」というレッテルを貼って、それを隠れみのに逃げこみたがっているのをまんまと先生に見抜かれていた。もう来なくていいと言われて心底ガッカリしたのが、その証拠だ。そちらの道に逃げこむ術はなくなった。

それにしても、もし先生が病院の売上のために患者の望みどおり鬱の診断書を出して通院させるような医者だったら、今ごろわたしはどうなっていただろうか。

過去の人生を捨ててみた

心療内科の先生に甘えた逃げ腰を見抜かれて、すげなく追い返されてはじめて自分のマインド、思考パターンに目を向けることができた。医者が追い返すくらいには「大丈夫」なようだから、自分でなんとかしようと動くことができたのだ。

身体には悪いところはなく、ちょっと太り気味なだけで健康といえば健康。しかし「ツラい」と感じているのはウソじゃない。自分のなかのなにかが狂っているのを本能的に感じ取っていた。心が病んでいるといっても「心」なんて臓器は人間の体には存在しない。狂って機能不全を起こしている臓器を名指しするなら、「脳みそ」とでも言えばいいか。

みなさんは脳みその修理方法をご存知だろうか。実はわたしにも皆目見当がつかない。しかたがないので思考やマインド系の本を手当たり次第に読み漁った。記憶の端っこに引っかかっていた苫米地英人氏の書籍を通じて「苫米地式コーチング」と出会った。これをきっかけにマスターマインドを矯正する機会に恵まれた。

100万円以上もかけてマインドの突貫工事をやった結果、17年という年月をかけて積み上げた職歴も役職も高給も全部捨ててすっからかんな自分になった。向こう見ずな性格で清水の舞台から飛び降りるようなマネが大好きなわたしは、後先を考えずにスッパリと仕事をやめてしまったのだ。くれぐれもマネしないほうがいい。退職は計画的に。

そうして重い鎧を脱ぎ去ると身軽になるかと思いきや、今度は未来への不安という妄想が全身にのしかかってきて心が押しつぶされそうになった。そりゃ、そうだ。これから先、どうやって生きていくのかを考える前に人生の基盤を全部捨てちゃったんだから。

退路は断たれた。ここからは自分の思うままに生きるしかない。過去を捨ててしまったのだから、「この仕事は長年やっていて経験も収入あるし」なんて言い訳が通用しなくなった。前に進む道しか残されていなかった。

目の前に広がる光景はまるでそよそよと風に吹かれる広大な草原か、地平線まで果てしなく続く海原か、はたまたすべてを飲み込むような偉大なる宇宙のようだった。ようするに、真っ白いキャンバスに自分の好きなように絵を描いていいよと言われて途方に暮れたのだ。

自分が思うままに生きたくて仕事をやめたのに、好きなように生きていいよと言われたらなにをやったらいいかわからないなんて、人間はなんてワガママなんだ。

自分で自分を背水の陣に追いこんでしまったので、必死に自分と向き合った。そうして子どもの頃からひそかに胸に抱いてきた「海外」で生きるという夢の実現にようやく本気で取り組むことになったのだ。

逃げた甲斐があればいい

マレーシアに国外逃亡してみると、あんなにツラかった気持ちがウソのように消えてしまった。ほんとうにウソのようだった。悪い夢でも見ていたような感覚だった。人間の気分や気の持ちようなんて環境を変えれば一瞬で変わることを証明してしまったので、もう二度と環境がツラいなんて理由で悩むことができなくなった。

ツラい現状から逃げてみて思うのは、「生きるための逃げはアリ」だということだ。「逃げる」という行為が良いことなのか悪いことなのか、そんなことはどうでもいいのだ。だって、わたしは学者じゃないんだから。そういう議論は哲学者にでもまかせておけばいい。逃げた先でのびのびと自分の思うとおりに生きることができたなら、逃げた甲斐があったというもの。それで、いいのだ。

そして、生きるために逃げたなら、生きなきゃダメだ。逃げっぱなしでぼんやり生きていたら、逃げただけの人生になってしまう。最期の瞬間に「ああ、いい人生だった」と笑って逝きたいんなら、そういう人生をみずからつくっていかないといけない。

人生はいくらでも編集できる。人生はいつでも編集できる。人生は、いつだって自分の思ったとおりになる。

あとがき

マレーシアに移住して3年。身の危険を感じたことは、新居で巨大なアレ(マレーシアのボスキャラ)に遭遇したときや車に轢かれそうになったときくらいだ。

しかしここは日本ではない。アウェイの環境で暮らしてみて、少しは逃げ腰が身についたように思う。つねに前後左右を確認しながら道を歩いているし、視界の端でカサカサと動くものがあれば鬼太郎の妖怪アンテナばりに反応できるようにもなった。

逃げ場所として「海外」という選択肢はアリだと思う。日本の常識はまず通用しないし、身の危険はあるし、小さなことでクヨクヨ悩んでいられない。笑

生きるための逃げはアリ。逃げた甲斐があればいい。